こんにちはっ!
オフィシャル裕子やで!
このカテゴリーは、私が日頃考えてることや感じてること&考え方や捉え方について自由に話していくカテゴリー♪箸休めにどうぞwww
「毒親」だったから不幸になったは「?」
「毒親」ってキーワードあるやん?
あれって、自分が親のことを憎んだり恨んだりしてる最中やから「毒親」って言葉になると思うねん。
なんでそう言えるのかというと、
わたしも多分、世間一般な表現で言うと「毒親」に属する親に育てられたと思う。
放任主義かと思えば、単なるネグレクトやって予防接種も受けさせてもらえなかったことから20歳の時に水疱瘡にかかって死にかけたり
3〜4歳の頃、歯磨きもきちんとさせてもらえてなかったから早々に虫歯になって頬が腫れるくらい痛くてぎゃんぎゃん泣いてても歯医者に連れて行ってもらえなかったり、
小2からいつも机の上に500円か、店やもん、あんぱんが置かれてあって、夜ご飯は1人でそれで賄うだけ。
小学校の遠足や中学のお弁当も作ってもらえなかった。小5でお弁当も作って生焼けのハンバーグを持って行ったのはみじめな思い出やった。
成人式の着物代と部活の資格取得代も、高校入学もお金がないという理由でやらせてもらえなかった&行かせてもらえなかったし、自費で入った高校の学費も当然自分で賄った。
なんにもお金をかけてもらえなかった。
↑ここに書いたことは一部やけど、全体的に見ても「毒親」と呼ばれても相応しい家庭環境やったわけやけど、今の自分は親のことを毒親って思ってないのよ。
10代の時は「毒親」って言うキーワードもなかったから、ふつうに「親を恨んでる」って言ってた。
で、今、自分の親のことを毒親っていうのはなんか違和感っていうか、それは違うかな!と自分自身が思えてる。
むしろ、親に感謝できるようになったし(26歳の頃)
20代のときに親に感謝できるようになったのは、親と向き合ったからとか、親が歩み寄ってくれたから!という事情じゃなくて。
当時、ボロボロの自分を周りが支えてくれたことと、自分の心と向き合って愛情不足を満たしていった結果、感謝できるレベルまで心が到達した。
だから、毒親って言葉は、現に親のことを許せない、恨んでる、憎んでる現在進行形の人たちが毒親って呼んでるんちゃうかなって思う。
ほんで、「毒親だったから自分は不幸になった」っていっちゃうのって自分の意識がめっちゃ過去に向いてるなぁって思う。
まさに、過去に囚われてるかのよう。
ここからは私の考えやけど、
たしかに、毒親やとみんなよりも普通に生きるというスタート地点が、遅れると思ってる。
やっぱり心が健全な状態で大人に育ったほうが思考もメンタルも安定してるから誤った選択しなくて済むのは間違いないし、まともに育ってるほうが社会的な成功も早い。
周りの人間関係も類友の法則で、またしてもまとも育ちは周りもまとも。笑
恋愛も健全な両親に育てられてるほうがスルスルうまくいく。
実際に私も「普通」(一般的な生活ができるようになるまで)30年くらいの年月がかかった。
だからといって、自分の人生を諦める必要はなくて、「自分の不幸は毒親だったからだ」に囚われていても、突然、親が良心的に生まれわってくれるわけでもない。
結局、どんな育ちであっても
自分の人生は自分で作っていくしかなくて、自分の心を大切にするのも自分で。
自分の未来をどのような人生にするのか?も毒親が決めるんじゃなくて自分。
こういうことを言うと、毒親に縛られて抜け出せないと言う人が出てくるんやけど、自分の身をどの環境に置くのか?も本来は自分で決められるねん。
手錠されて監禁されてない限りは。
むしろ↑これされてるんやったら3秒で警察行き。
毒親っていうキーワードは、世間に主張する言葉じゃなくて「自分は親を恨んでるステージにいるんだ」ってことを教えてくれる言葉なんちゃうかなって思う。
毒親と呼びたくなるくらい、恨んで憎しんでどうしようもなくて、自分で消化できないから毒親というキーワードに、一時的に救われてるんじゃないかと。
一時的に救われるのは私はめっちゃいいことやと思う。
だから、「毒親って思うなよ!」「崇高な思考を持て!」と、伝えたいんじゃなくて
「自分は今、親を恨んでるんだ」っていう、現状の自分の気持ちを受け入れるためのキッカケとして「毒親」を使うのがいいと思う。
毒親と呼んでる人も、
もし、自分の心を満たして恨みが晴れる頃には毒親と呼ばなくなるよ。
もちろん、
毒親を「毒親のまま」にしておくか「大変やった親」に変えるのか?は、あなた次第。
ということで、よかったら、この記事を読んだ感想をコメント欄で聞かせて!